インターネットと無責任な勧善懲悪の闇

前回人間関係の冷徹化についてお話しました。

今回はその具体例について。

インターネットは情報の速さと個人の発信の場として発達を遂げており、

ビジネスにも大きな影響をあたえることとなりました。

IOT(インターネットオブシングス)という言葉もできるなど、

私生活ではなくてはならないものとなりました。

 

 

一方で人間関係はより一層壁のできるものとなりました。

それはインターネットの表現の自由性によるところが大きいためです。

それでは具体例です。

 

東日本大震災にて東電の管理する原子力発電所の水素爆発、メルトダウンは

5年たった今でも未だに爪あと深く、鮮明に残っています。

そして未だに東電の不正、陰湿、無責任な状況は全く変わっておらず

マスコミにネットに、糾弾の手は全く緩んでおりません。

そこにはそれぞれの立場での様々な思惑が書かれており、

検索するだけで多くの情報が入ってきます。

そしてその中に加害者、被害者がいるのもまた事実です。

東電のやっていることは社会的に許されるものではありませんが、

怒りの矛先を向ける相手が無差別になっているのもまた事実です。

 

東電で働いていた、一社員とその家族のネット上での発言

これに対して、東電の社員としての責任の自覚が足りない、と、激しく

非難するサイトが様々に有ります。

その発言は日記的、その時の思い的な内容なものですが、

被災者の感情を逆撫でる内容のものでした。

そのため、不特定多数の大衆から攻撃を受け、未だにその情報は

デジタルタトゥーとして残っています。

東電は多くの社員を抱え、当然被災地域の担当でもない平社員もいます。

また、その家族は会社の責任を間接的にも自分たちが負う、などとは考えてもいません

それは、東電以外の会社の社員でも同じことではないでしょうか。

社員一人ひとりのバックグラウンドは全く異なっているにもかかわらず、

攻撃は執拗に行われ、ひどいものでは個人名から住所まで特定となっています。

(とは言え、匿名性を盾に非社会的暴言を吐いていた東電の人間もいるようですが・・・)

 

 

このように、インターネットでの発言を期に、加害者と被害者の構造が生まれます。

加害者は「勧善懲悪」の考えのもと、自己を正当化し、

被害者はときに個人情報などを特定され、消えない情報を掲載される

という、救いようのない冷徹な人間関係が常態となっています。

 

そのため、インターネットでは安易な発言や、個人情報のやり取りを

行うことは危険となります。

安易な発言が誰の正義感に引っかかり、勧善懲悪の対象にされるか

個人情報を渡した相手の機嫌しだいでは理不尽に公開されたり、

あるいは異常に誇張・不利益となる嘘を交えた情報を掲載されたりします。

 

発言者とそれを受け取る者の人間関係の形態の変化により、

対面では言わない・言えないことを安易に発言し、

それを不特定多数の大衆が閲覧し、反応する。

「インターネットと無責任な勧善懲悪の闇」

はまさにここに発生します。

 

では自衛とは一体何をすればいいのか。

次回はそれについて記載します。

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